心の成長への道:ネガティブ感情と向き合う

心の成長への道:ネガティブ感情と向き合う

2015年にピクサー映画で大ヒットを遂げた「インサイド・ヘッド」は、特にそのテーマが話題になりました。ピクサーといえば、3Dアニメーションと心温まるストーリーで知られていますが、この映画は子供向けの映画として重要な、「人の成長過程で現れるネガティブな感情」を伝えたという点で、一風変わった素晴らしい作品だったと言えます。

 

通俗心理学(ポピュラー心理学)の時代において、「ネガティブな感情」はしばしば取り上げられるテーマです。「ネガティブな感情」とは、悩みに対する不平であったり、またはその悩み自体を言います。著名な人たちは、そこから抜け出すにはポジティブ感情が必要だとアドバイスしていますし、哲学においては「ポジティブとは何なのか」を定義することで、私達がネガティブ感情から抜け出せるよう無数の方法で後押ししてくれています。しかしこの「ポジティブの定義」が、逆に否定的側面ともなり得るのです。というのは、「ポジティブ感情が良いものなら、ネガティブ感情は悪いものだ」という推測が自然と導き出されてしまうからです。

 

さらにその推測を助長させてしまうのは、ポジティブな人ほど成功しやすく、健やかな人格と感情豊かな生活・対人関係を築いているという研究結果があるからです。

 

しかし、ここで一度立ち止まって、ネガティブ感情とは一体何者なのかを定義してみる必要があります。

 

もしネガティブ感情と体の不調が同時に発生するなら、私たちはネガティブ感情が人生と人の成長においてどう機能しているのかを知ることができます。いや、逆に、「体の不調を感じることができない人」を観察することで理解できるかもしれません。その症状をもつ「無汗症」や「CIPA(先天性無痛汗症)」とよばれる病気は、ごくわずかな人に発症する病です。あるCIPAの娘を持つ母親が語ることばは、とても考えさせられる内容です。

 

「痛みが存在するのには、理由があるのです。痛みは、自分の体に何か異変があることを知らせ、治すよう訴えてくれます。娘が痛みを感じられるようになるなら、私は何でもしてあげたいです。」

 

体の痛みと同様、感情の痛みはとても重要な機能であり、もっと私たちが注意を向けるべきものです。体の痛みが自分の体からの信号であると述べたように、感情の痛みも、なにか治すべき必要性があると私たちに訴えかけてくれる、重要な信号なのです。

 

ですから私たちは、ネガティブ感情と付き合う時間も大切にすべきであり、振り返る価値があるということです。そのような時間を過ごすときに重要なのは、「自分が必要とするものを訴えかけてくれている」というネガティブ感情の機能を理解することです。それは学校や職場、ビジネス、特に対人関係や家族関係における訴えかもしれません。すべての分野において振り返り、その声に気づいてあげることが必要です。

 

健やかで幸せな家庭を築くためには、心の成長が欠かせません。自分自身をよく知ること、人格を育てること、そして成長のための新しい道を見つけること。常にもっと成長しよう、もっと良くなろうという向上心と貪欲さを追い求めていく時、必ずそのための道具が必要になります。だとすれば、ネガティブ感情は自分を良く知るための道具だと言えるでしょう。そしてその感情は、隠したり、無視したり、かき消したりするものではなく、成長のチャンスだと思って受け入れ、包み込んでいくべきものだということです。

「振り返り」ができるリーダーほど基準値を引き上げ、ゴールを達成できる

「振り返り」ができるリーダーほど基準値を引き上げ、ゴールを達成できる

失敗を振り返り、教訓を学ぶプロセスは、成長と発展に不可欠です。それは、どの年齢・職種においても共通しています。学生や部下、特に先生やリーダーにとって、セルフリフレクション(自己評価)を行うことは精神的にも霊性的にも成長をもたらしてくれます。

ですが、実際にどれくらいの人が「振り返り」の時間を持てているのでしょうか?そのプロセスは決して簡単なものではありません。多くの人はスローで時間の無駄に見える「振り返り」のプロセスを好まないでしょう。ある人は過去を振り返りたくないというかもしれません。それは自分の欠点と向き合うことよりも、強みを見つける方がよっぽど楽だからです。受け身になるのではなく、自分の欠点を認め、ポジティブな姿勢でその教訓を学びましょう。それによって自分を変えることができ、幸せを呼びこむことにもつながります。私たち人間は、自分の弱みを裁いてネガティブになったとしても、「成長できる」とポジティブになるよう考え方を切り替え、チャンスを作り出していく力を持っているのです。

1888年7月ヘレン・ケラー、アン・サリバン先生とともに

特に先生・教師にとって、「振り返り」が生徒を正しい方向に導く重要なカギであるといえます。良い先生とは、「振り返り」が上手な人であり、良いリーダーです。視覚障害と聴覚障害の両方を持つ重複障がい者であるヘレン・ケラーの家庭教師を、わずか20歳という若さから担当したアン・サリバン先生は、当時まだ若かったにもかかわらず、とても明るく志の高い教師でした。ヘレン・ケラーは視覚・聴覚障がい者では初めて文学士の称号を獲得し、作家として、世界的に有名な演説者、そして政治活動家としても名を広めた人物です。ヘレンは頑固で気難しい子供でしたが、サリバン先生の「振り返る」プロセスが大きく貢献し、ヘレンの人生を成功へと導きました。

サリバン先生自身も視覚障害がありましたが、その強い決意と高い自己評価能力によって、困難で気の遠くなるような子供の世話を乗り越えることができたのです。サリバン先生は当時、教えながら得た経験から重要な出来事を書き出し、自己評価として友人に手紙を出しています。

サリバン先生は、ヘレンが名詞の「マグカップ」や「ミルク」をしばしば動詞の「飲む」と混同してしまい、理解に苦しんでいるのを見て、どうすればうまく理解させられるか悩んでいました。ヘレンは「飲む」という言葉を知らないはずなのに、「マグカップ」や「ミルク」のつづりを示しながら「飲む」動作を行ってしまうのです。

そこでサリバン先生は、手話の概念と実際の物事を結びつけるようにしました。ヘレンを目の前の物に片手で触らせながら、もう片方の手にその物の名前を手話で教えるという方法です。

ブロードウェイ「ミラクル・ワーカー (The Miracle Worker)」の舞台でアン・サリバン先生役をアン・バンクロフトが、ヘレン・ケラー役をパティー・デュークが演じている様子。このシーンではサリバン先生がヘレンに「水」の意味を教えようとしている。

「私たちは井戸に一緒に行き、私がポンプを漕いでヘレンに蛇口の下でマグカップを持たせました。冷たい水が蛇口から噴き出しマグカップがいっぱいになったとき、わたしは『w-a-t-e-r(水)』とヘレンの空いた手に教えてあげたのです。言葉を教えたとたんに冷たい水がヘレンの手に流れたので、ヘレンはびっくりしてマグカップを落としてしまい、その場に立ちすくんでしまいました。ヘレンの顔に新しいことを学んだ喜びが表れていました。」

これがきっかけとなり、サリバン先生と他の教師の教育は、ヘレンに点字の使い方を教えたり周りの世界とのコミュニケーション方法を教えられるほど、飛躍的に前進しました。それは簡単なことではなく、生徒も先生も多くの壁や葛藤と向き合わなければなりませんでした。しかしサリバン先生もヘレンも頑固に突っ走ったり諦めてしまう代わりに、繰り返し「振り返る」ことに時間を費やしました。これは意識と決断力が必要な行動ですが、同時に学びを可能にする行動です。一見「のろま」に見えてしまっても、長い目で見ればより早く効果的に前進できる方法であり、くじけて涙を流すことも少ないということです。

「ハーバード・ビジネス・レビュー(Harvard Business Review)」というアメリカのグローバル・マネジメント誌によると、一日の終わりに15分間「振り返り」の時間を持つ人は、振り返らない人に比べて10日間で23%もパフォーマンスが高かったと伝えています。またイギリスの通勤者に関する研究では、通退勤中にその日のことを考えたり、計画を立てたりする人は「何も考えない人より幸福で、創造的であり、疲労が少ない」ことが分かりました。

簡単に言うと「振り返り」は、毎日の忙しい生活を一時停止させ、分類し、認識し、その日の経験に意味を見出すことです。「振り返り」を行う時間や場所は人それぞれですが、自身のライフスタイルを振り返る方法は数えきれないほどあります。それは日記かもしれませんし、通勤中の車で考えること、あるいは最高の教室である自然の中に行くことかもしれません。

皆さんは「振り返り」の時間をもっているでしょうか。振り返っていないという人は、今日から始めてみては?

より大きな何かのため、ここに来ました

より大きな何かのため、ここに来ました

ユ・ナムシクは、アメリカで高校を卒業した後、1年間のリーダーシッププログラムに参加するのを心待ちにしていました。ナムシクはこの1年で韓国、フィリピン、コロンビア、ネパールと世界中の国々を回りました。ネパールで彼が学んだことは、「奉仕活動」におけるとても大切なことでした。それは、奉仕活動はただ「良いことだ」という概念にとどまらず、長い人生でリーダーとなるための根本的要素であるということです。

リーダーシップ・タスクフォース(LTF)は、1年を通して若い青年たちがスキルを学び、トレーニングを終え家に帰ってからも家庭や地域でリーダーとなれるように教育する場です。奉仕活動がプログラムの主要活動であり、LTF参加者が自身のスピリットを成長させ、目標を行動に移せるよう訓練します。

ネパールプロジェクトの寄付をよびかける様子

ネパールに行くと言っても、LTFメンバーが現地の子供たちや家族を訪問して終わるわけではありません。ナムシクもチームの皆も多くの準備と整理をして、そのすべてに責任を持たなければなりません。ファンドレイジング(資金集め)や現地で行う活動内容も、ネパールに行く前に全て計画・準備します。

「ファンドレイジングの途中で苦しかった時も、ネパールで僕らを待っている子供たちを想うよう心がけました。」とナムシクは語ります。「チームメンバーとアクティビティの案を出し合っている時も、『ネパールの人々が必要としていることは何だろう?』と考えながら計画を立てました。」

一回で完結してしまう奉仕プロジェクトではなく、自然災害の被害を受けた遠隔地域のネパール人家族が抱える問題を、具体的に解決できる方法を見つけ出してあげたかったと語るナムシク。重要なのは、彼自身が「地域みんなで子供を育てる雰囲気を作りたい」、「家族の絆を深めてあげたい」、「人々や自分自身に変革をもたらしたい」と願った動機にあります。ナムシクは人々に変革をもたらす主人となる重要性を学びました。人に奉仕する道は、実際に作業に取り掛かって手が泥で汚れるよりずっと前から始まるのです。それは、自分自身の内面から始まることなのです。

パラパカ地域の小学生たちから歓迎を受けるナムシク

「もし何もかも全て準備された状態で、僕らは何もせずただネパールに行くだけだったなら、きっと小さな奉仕活動と友達作りで終わってしまったに違いありません。もっと重要なことは、自分自身の心さえ準備していない状態で現地に行って人々に会っても、彼らに何の変革ももたらすことはできなかったということです。僕にとって出発前のファンドレイジング期間は、単純にネパールでアクティビティができるよう資金を集めただけの期間ではなかったし、プロジェクト企画期間も単純にアクティビティを考えるだけの期間ではなかったと思います。それは『より大きな何かのために誠実な努力を注いだ』期間だったと感じています。」

 

FPA創設 ネパール(チトワン)大会

FPA創設 ネパール(チトワン)大会

2018年5月5日、ネパールのチトワン地域に住む家庭が集い、地域レベルのFPA創設大会が行われました。この地域に住む市民の多くは、2017年12月に韓国ソウルで行われた創設大会に参加していました。

チトワン創設大会には様々な宗教、党派、文化背景を超え、あらゆる職業・地位から500名以上が参席し、イベントにはミュージカルや文化パフォーマンス、宗教指導者らによるスピーチが行われ、家庭の価値とネパールの豊かな遺産を表現し合いました。

初めて行われたFPA教育準備プログラム(マダプル地域)

創設大会の準備にあたり、FPAメンバーたちは各地域コミュニティで複数家族が集まってできる、「ファミリー・ユニット(家庭のまとまり)」を作ろうと動き出しました。その目的は、教育や支援を通して神様中心の健やかな家庭を育てていくことにありました。ファミリー・ユニットは近隣の人々、友達、親戚によって形作られていきます。創設大会前の一か月間で、13もの多様な教育プログラムが開催され、ビジャイナガル地域のファミリー・ユニットでは、約200人以上がプログラムに参加しました。

こうした地域コミュニティの集まりの場を通して、家族も親、子供、お年寄りも一緒になって、健やかな家庭の霊性を育てる方法や、そうした家庭文化を日常から作っていく重要性について話し合う機会を持つようになりました。

家庭への支援は、平和の礎となります。今回の創設大会が、そうした地域住民の努力のスタートとなるセレモニーになりました。

 

 

 

 

9か月の赤ちゃんから学んだことは偉大でした

9か月の赤ちゃんから学んだことは偉大でした

「子供に人生のことを教えるというけれど、人生のことを教えてくれるのは子供たちだ」

9か月の子供を持つ母親にお話を聞きました。息子が困難なことを克服したりチャレンジや痛みを怖がらず進んだり、決してあきらめないことなどを通して成長している姿に学ばされ、自分も成長していると実感した経験を語ってくれました。

息子はまだ9か月しか生きていません。でも9か月で、息子はすごい速さで成長しています。

腕はむちむち肉がつきました。足にはかわいらしく「鳥のもも肉」というあだ名がついています。頬っぺたは落ちそうなくらいぷくっとしていて、顔全体はきれな桃の形です。こんなに小さな子供が、私に「人生は、より上を目指して励むこと」だと教えてくれました。

生まれてすぐ、息子を胸に抱いたのを思い出します。そのとき息子にできることと言ったら指で数えられるほどでした。息をする、眠る、うんちする、食べる、あくびする、そして目を開けて新しい世界をみわたすことくらいです。その時は一人でゲップもできなかったのですから。だからこそ彼が達成する一つ一つが、私たちにとって特別でした。目を開けてニコッと笑顔を見せてくれれば、みんなが寄ってきて話しかけました。口から見事なゲップが出るたび、私達は万歳!と大喜びでした。

数か月が経った頃、息子は見えてる世界をもう少し違う角度から見てみようと、「寝返り」に挑戦し始めたのです。最初は苦戦してしまいました。寝返る途中で腕がお腹につっかえてしまい、苦しそうでした。でも、彼はあきらめません。そしてついに一人で仰向けに返った瞬間、私たちは家族総出でお祝いしたのを覚えています。初めてうつ伏せに返ったときも同じでした。

しかし息子の挑戦はそこで終わりませんでした。次に彼が挑戦したのは、「座る」ことです。ところがこれは難易度の高い芸当です。何度も倒れては、頭や顔を床に打ってしまいます。痛くて泣きそうになった瞬間、ぐっとこらえてまた起き上がろうと挑戦するのです。長い戦いの末、ある程度バランスを取って座れるようになりました。彼はそのとき初めて横向きだった人が縦にまっすぐ見え、すぐ隣に自分のおもちゃやゴミをもった人が座っているのを発見したようでした。

「座る」ことを学んですぐ、彼はおもちゃが少し離れたところにあるのに気付きます。今度は、別の場所に移動する手段を学ばなければならなかったのです。彼はゆっくりと手を前に伸ばし始め、「ハイハイ」の練習に取りかかり始めました。やはり思うように動かない手足に苦労しますが、彼は練習に疲れ果てて倒れ込むまで、手を伸ばし続け足を動かし続けました。次第に毎日の特訓の成果が筋肉となって手足に現れてきたようです。今まで使ったことのない筋肉を得た彼は、少しずつ前へと進み始めました。最初のうちはイモムシが這いつくばっているようにしか見えませんでしたが、足がうまく後ろに回るようになると、手足で体を持ち上げられるようになりました。9か月の今になっては、彼は光のような速さで移動します。特にお姉ちゃんがテーブルからお菓子のかけらを落としたときなんかは。

しかし成長はこれで止まりません。彼は新世界に踏み出したようです。彼は最近、足の筋肉を強化するため、スクワットに励んでいます。今では一人で立つことができ、本人は誇らしく思っているようです。もちろん、それも苦労と痛みの結晶です。たくさん転んでたんこぶだらけになりました。今、彼は自分のお姉ちゃんやいとこのように、自由に歩き回ることを目指しています。そしていつか走り回ることも。

息子はいつも私を感動させ、突き動かしてくれます。彼がその生き様を通して教えてくれたのは、「人生とは、いつも次のステップ目指して努力し続けることだ」というものでした。息子は、何があってもあきらめず、いつも前を向いています。痛くて苦しいことにも、惜しみなく挑戦します。倒れる数だけまた起き上がってもう一度トライします。そして、そうしたプロセスの中で成長していきます。

私たちはときどき、自分が成し遂げたことや身に付けたことを見て、自己満足に浸ってしまいます。でも、こんなに小さい自分の息子でさえ困難に挑戦し続け、たった9か月で数えきれないほど多くを学び、心から喜びながら生きています。それを目の当たりにしたとき、自分ももし同じように「もっと学ぼう」「もっと成し遂げよう」という姿勢を持ち続けていたら、もっと大きなことができたはずだと思い知らされるのです。

彼の生き方は、兄弟たちにも影響を与えました。お兄ちゃんが、クラスのみんなの前で弟について発表したのです。「諦めないことと、ベストを尽くすことを弟から学びました。」そのおかげでお兄ちゃんの発表は先生やクラスから認められ、良い評価をもらったそうです。

9か月の赤ちゃんから学べることは、なんと偉大なことでしょう。

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